結局、影響を受けてた
ことしデビュー50周年ってことで、いろんなメディアにも積極的に露出されてるユーミンさん。紅白にも出るみたいね。オレが物心ついたときからずっと第一線だもんな。改めてすごいことだわ。
思い出深いのは、やっぱりバブルのころですかね。
そうねー。『見栄講座』で当てたホイチョイ・プロがプロデュースした『私をスキーに連れてって』がブレイクして、そのBGMでユーミンの曲が使われてた。地元の連中は大ハマリしてて、オレは「男はハードロックだぜ!」とか、そっち方面にイキってた痛い青年だったからカセットに録ったりはしなかったけど、友だちのクルマに乗るとかかってたねぇ。
誰かがクルマの中にポータブルテレビ持ってきて『わたスキ』のビデオ観てたり…そんなことしてましたっけ。
そんでクリスマスにスキー行こうとかなるわけで、その都合で社内のレイアウト変更とかで休日出勤命じられてもぶっちぎったりしてね。
それはただのブラック企業ですね今で言うと。
考えてみたら、当時は週休2日も隔週だったから、スキー行ってその土地で呑んで温泉に浸かって帰ってくる時間的余裕のある日程はなかなか組めなかったからね。そして給料日のあとである必要もあったし。
その意味でもクリスマス周辺の週末は大変なことになってました。
なんせ練馬の関越入り口まで2時間とか…どえらいスキー渋滞で地元なのに裏道からハマったりしてね。新潟まで8時間とか普通だったからね。
てかクリスマスのあたりは中央道で白馬方面に…さらに混むという。
▲YouTubeから引っ張りました。リフト1時間待ちとかも普通にあったよね。
あーそうだそうだ。途方もない時間がかかった。考えることはみな同じだった。八王子あたりで『中央フリーウェイ』を流すための苦行w。それにうんざり…しようとするんだよ斜に構えてたからさ。けど、心の中では、まぁすっかりその気分に乗せられてはいたもんな。そっちのほうが恥ずかしい。
で、ゲレンデに着いたら着いたでスピーカーから流れてくるのは『サーフ天国、スキー天国』だったりして。
いまみたいにiPhoneはもちろんiPodすらない。ウォークマンはあったけどかさばるんだよね。だから、自分の好きな音楽、というより、そのシチュエーションを共有して気分を盛り上げるための音楽をスキー場側が提供してくれてた。
でもって『恋人がサンタクロース』で『ロッヂで待つクリスマス』と。まったくスキがないw
白馬の貸別荘とか泊まったもんなー。地元のケーキ屋さんに事前にクリスマスケーキ発注したりして設定にはこだわるw あーゆー風潮、いまは絶滅したんだろうか…。
冬も夏も浮かれてた
いまの日本はすっかりどん冷えの『ブリザード』ですけど、あのころは夏と冬、年に2回お祭りでしたね。少なくとも若者にとっては。
夏は夏で海岸通りは大渋滞だわ意味なくクルマにサーフボード載せてるわ…
いやー意味なくと言っちゃアレですけどねー。
これから海へ向かうぞー!的なアゲ系じゃあんまりないすね。さっきの『サーフ天国、スキー天国』みたいな。
なるほど検索してみるとたしかにそうだ。夏の昼間というより、夕方の、少しエモい方面が多いのかな。そのあたりは大瀧詠一のコレとかになるのか。
そこらへん探るとたくさん出てきますよね。まさに日本のシティポップ黄金時代。
日本経済に貢献したで賞
以前、目白通りを歩いてて、ふと遠い目になりましたよ。ああ、この道路、あのころは週末になるとスキー載せたクルマで大渋滞してたんだよなーって。
いまではすっかり見なくなったな…。
スキーの予定はないにせよ、クリスマスはレストランでディナーとか奮発しましたよね。お高めのお店を背伸びして予約して、しかも当然のように特別料金の設定なんだけど、そんなことよりイベントをまっとうすることのほうが大切でしたから。まだ20代で金もなかったけど。
ティファニーのオープンハートが売れたりね。
みんな無理してましたねwww
なんかバブルを懐かしむジジイ丸出しになるけど、あのころってたしかに日本は元気があったんだよな。懐かしいのはそこなんだよ。バブルを100%肯定してるわけじゃない。けど、いまがちょっとひどすぎる気がするわけだ。
無理してた、と言いましたけど、その無理が文化を生んだり支えたりした部分もあったんじゃないかと。やれイタメシだ!とか言って、レストランとかワインとか調べたりして。いま、若者のグルメって、せいぜいラーメンですよね。バブルは社会に出たての底辺の下の下で眺めた程度でしたけど、ユーミンによってクルマも売れたしレストランもスキー場も賑わった。つまりその周辺の産業にも貢献してたわけですよね。
スキー用品ならば生地をつくる人やデザインする人、縫う人、運ぶ人、売る人がいるわけだしね。レストランだってカセットテープつくる企業だって、いろんな人が関わって経済が回ってる。いまは昔より合理的かも知れないし、クルマを持つなんて不経済と言われればそれまでなんだけど、こじんまりしたぶん息苦しくなってる気がするな。
そういう意味ではユーミンには「日本経済に貢献したで賞」を贈呈したいですよね。
その後の受賞者が思いつかないってのが寂しい限りだけど。
若者に金を回さないでどーする!
しかしブームの反動で越後湯沢エリアとかスキーリゾートマンションが乱立して、いまでは目も当てられない状態になってるとも聞きます。
ブームからの落ち込みが激しかったからね…。越後湯沢駅を中心にスキー場自体が乱立して、湯沢方面はアクセスもいいし好きな居酒屋もあったりしてわりと通ったと思うけど、それでも行ったことのない大資本による新設のゲレンデがいくつかある。よくわかんないディスコみたいなのもあった。人気のスキー場がある町と地上げ屋を浮かれさせたのは、まぁある意味ユーミンの罪かもしれないな。あと、お土産屋とか自動車メーカーとかも。
でも最近はまた客足が戻ってるらしいですよね。
ほーなるほど。それはもしかしたらオレらを含めたバブル経験組が子どもや孫を連れて行くようになってるからじゃないのかな?
楽しかった思い出を子や孫に引き継がせたいという…
自分のことで言えば、ちょうど子育ての時期がバブル崩壊やらリーマンショックやら、阪神淡路大震災、地下鉄サリンとオウム、東日本大震災…そしてダメ押しのようにコロナが来た。日本がどんどん暗くなって、経済的にも厳しくなって、明るい記憶を子どもたちに伝えてやれなかったんじゃないか…という負い目がある。だから、少し手離れしたし、自粛も疲れたし、「あのころ」をもう一回やりたい!というアラ還世代がゲレンデに出かけてるのかも。
体力的にも「人生の滑り納め」みたいなことはあるかもですね。
55を越えると若いころは考えてもみなかった不調がいろいろ出てくるからね。ゲホゲホ。
音楽とかも、ユーミンに代表されるように、日本が元気なころは外向きだった気がします。ま、それは比較として最近の曲が恋愛を歌っていても内に向いてるような気がするからなんですが。
オッサンの印象としては、ってことだね。
はい。完全に印象論ですけど。
例が正しいかどうかわかんないんだけど、外を歩いてると、男性で言えば相対的に若い子のほうが保守的なファッションな気がするね。無地が好きだし。着てるTシャツとか、いまの時期で言えばパーカーとか見ても、オッサンのほうがはっきりと派手だよね。
彼氏や彼女がいない若者が増えてるって言いますけど、これまでは男子が女子を誘う、そして恋愛に発展する…という流れが弱くなってる気がします。リスクを伴いますからね。
リスクには敏感になってる感じするよね。
それを回避するには、若い人たちがもっと羽を伸ばせるよう、社会が若い人たちにお金を回すようにしないといけないんだと思います。お金は、やっぱり精神的な余裕を生みますから。
奨学金を借りてる学生が約半数という数字があったけど、こんな状況じゃ萎縮もするよなぁ。ロマンチックなんてできないよなぁ…。
まぁ、なんというか、SNSとかでも若者の貧困をいろいろ問題視されてますけど、なかなか政府は気づかないのか、少子化対策がいちいちピンずれですよね。
この曲の意味がわからない若者を増やさないために、政治家はスキャンダルばっかり追わずに社会のリアルを見てほしいと切に願うよ。バブルを再生せよ、とは言わないけどさ、若者たちがおおらかでいられるようにはしてほしい。
昔 となりのおしゃれなおねえさんは
クリスマスの日 私に云った
今夜 8時になれば サンタが家にやって来るちがうよ それは絵本だけのおはなし
そういう私に ウィンクして
でもね 大人になれば あなたもわかる そのうちに♪(中略)〜
あれから いくつ冬がめぐり来たでしょう
今も彼女を 思い出すけど
ある日 遠い街へと サンタがつれて行ったきり『恋人がサンタクロース』松任谷由実 1980年
▲これもホイチョイ。かなり笑える。当時を知らない若者も!バブル崩壊の理由も教えてくれるよ!
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