燃える闘魂、逝く…

猪木さんの訃報から3日が経ったけど、まだじんわりとダメージが残ってるな

今年の24時間テレビに車椅子で登場したとき、痩せ細った生気のない表情に衝撃を受けました。その意味、覚悟はしてたんですけどね…

オレらの世代はどんだけ猪木さんに影響を受けたか、って話よ。中学・高校のころがもろ全盛期で、金曜日の「ワールドプロレスリング」を観た翌日とか、体育館の高跳び用の分厚いマットでブレーンバスターとかやってて

まだ土曜が休みじゃなかった時代ですね

中学の教室でバックドロップ食らわせてたやつとかもいたなぁ

…大事に至らなくてほんとよかったですよね

あれはさすがにビビったわ。『1・2の三四郎』の読み過ぎかよ?とw

まぁ、そのくらい当時のプロレス熱はすごかったですよねw

それも新日派が多かった気がするな。どちらかといえば

やっぱ猪木さんの鬼気迫るファイトっぷりに惹きつけられたんですよね。まさに「燃える闘魂」のキャッチフレーズそのままの!
ガチという言葉はなかったけれど

当時、「プロレスなんて八百長だ」という反論も根強かったから、猪木さんのストロングスタイルにしびれたんじゃないかな。いま思うと

正直、全日はショーに見えたんですよね…

あっちはあっちで観てたけどね。ファンクスとか、ハリー・レイスとかブッチャーとか、懐かしい

それこそミル・マスカラス&ドス・カラスの兄弟とか

オレたちの元ネタねw

最近なんかルチャ・リブレのマスクとかがファッションアイテム化されてますよね

これなんか攻めてるよねぇw

なんか、いわゆる「プロレス」な感じなんですよね。全日は。それはそれでエンタメ性とか感じさせて面白い。面白いんだけど、「ショー(つまり八百長)だろ?」と言われると、答えに窮する感じはちょっとあって

たしかに、それに対して新日は「ガチ」な感じはあったよね。そんな言葉はなかったけど。直球そのまんまで言えば「真剣勝負」だという思いを持たせてくれた

これで騙されるなら仕方がない

んー。まぁ、そんなに深いことは考えてなかったけど、「男の闘い」という感じが、思春期の男子に刺さったんだろうな、という気はする。てか、日本男児全員が思春期だったのかもな

戦争には負けたけど、まだ「男とは」みたいな価値観が根強くあった時代ですからね
プロレスの文脈で

さっきの「これで騙されるなら仕方がない」なんだけど、以前勤めていた会社の休憩室で猪木vsウイリー・ウイリアムスの話になって。オレと、外部のプロレス好きN氏と、ボスと3人で夜中じゅう議論?かな?まぁ、それ的なことをしたんだけど、当時のボスが「しょせん筋書きがあるんだろ」派の人でさ

あっち側の人、ってことですね

タイプ的にも左っぽい人でさ、それはまぁいいんだけど、筋書きある説にオレらプロレス肯定派が反論はしないわけ。「筋書きがなくもないかもしれない」的な

その立場は非プロレス派にとってはわかりづらい

なもんで、じゃあなんで観るわけ?なんで楽しいわけ?となるんだ。ガチかガセか、その境界線にあるロマンを伝えようとするんだけど、伝わんないんだよ

プロレスとアマレスの違い、みたいな話でも語られる部分ですかね。アマレスは、そりゃガチ100%かもしれない。でも、あくまで競技、ですよね。それに対してプロのレスリングは、お客さんがいることが前提になるから、「観せる&魅せる」要素が必要になりますし

それが「筋書き」と捉えられると言い返したくもなるから、オレらは「プロレスの文脈的には」って説明したんだけど、伝わんない。新日の…というか、猪木さんのプロレス、猪木イズムってのは、競技とエンタメの狭間というか行間というか、そこのギリギリのところを見せてくれるから

物語として語りたくなるんですよね…

そうそう。だから、そういう機微がわからなかったあのときのボスはいまでも嫌いw
生き様がプロレスだった

考えてみれば、新宿伊勢丹の前でタイガー・ジェット・シンに襲撃された話とか、湾岸戦争直前のイラクに日本政府の警告を無視して乗り込んで人質開放したとか、猪木さんの生き様ってすごくプロレス的だったんだなぁ、と改めて思います


そもそも移民先のブラジルから力道山が連れて帰ったとか、そこからね

世界初?の異種格闘技戦やって、国会議員やって、北朝鮮でプロレスやって、事業でことごとく失敗して大借金背負ったり、自分の作った団体から追い出されたり、詩集出したり…

どんなことをしてくるのかわからない。そういうところが本当にプロレス的だった

難病に侵され、あの無敵だった猪木さんが、あんなに弱々しい姿になって、それでも「この弱った姿を見せる」という…泣けました

猪木さんは、人生のプロレスに勝ったのかなぁ、負けたのかなぁ…

たぶん、それはどうでもいいことなんじゃないか、という気がします


オレたちは、猪木さんに見せてもらった「生き様」を、もう一度噛みしめなきゃいけないんだろうな。バリバリの時代を魅せてもらった世代として…

やっぱり、『INOKI BOM-BA-YE』を聴くと、無条件に目頭が熱くなりますね…

それは悲しいんじゃなくて、感謝の涙なんだよな…。ありがとう、猪木さん。本当にありがとうございました!
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